妄想
最近やたらと速読(悪く言うと読み飛ばし)ができるようになりました。
- 作者: 北田暁大
- 出版社/メーカー: せりか書房
- 発売日: 2004/06
- メディア: 単行本
- クリック: 27回
- この商品を含むブログ (60件) を見る
JPOP歌詞分析に限らず、大衆文化・サブカルチャー界隈の分析には、
必ずと言っていいほど「私」が入ってくることが多い。
「私の人生」「私の経験」を主体としてその作品や作者をなぞりながら解説をするというのが少なくない。
(ex. http://portal.nifty.com/kiji/121119158399_1.htm
最後の「ゆるキャラって何だろう」という部分の文章。
途中まで何らかの考察をしておきながら、最後は自分の共感で〆る。
問題提起のきっかけが自分の共感でありながら、結局自分の共感で終わる。自己完結的なのだ。
この文章は論文でも学術的なものでもないが、「私が主体」の文章の典型だと思う。)
別に、「私が主体」の文章でも構わないと思う。
でも、それが「当然」になっているから問題なのだ。
「私が主体」は裏返すと「私の愛が一番強い」「私が一番共感している」。
要は排他的。
オタク文化を論じた社会学の書籍や現代思想の書籍が、
当のオタク達に拒否されるのはいい例なのではないだろうか。
(…書くの飽きたwww)
まんが 哲学入門――生きるって何だろう? (講談社現代新書)
- 作者: 森岡正博,寺田にゃんこふ
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2013/07/18
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (10件) を見る
よくある「マンガde解説」的な本にありがちな軽薄さもなかったし、
最後に読むべき哲学書がレベルごとに紹介されているのもよかった。
哲学というのは存在や認識について、まず仮定として否定的・批判的に考えるところから始まるから、
人生観や社会に対して批判的であり悲観的である学問だと捉えている人が少なくないと思う。
(私もその一人でしたw)
でも、それはあくまで思考の一過程にすぎなくて、現状を疑うことは、その先を考えるためにある手段なんだよね。
哲学と言う学問は、未来を考えるために欠かせないなあ、としみじみ感じました。